亡命政府及びダライラマ法王の和平提案

国際社会から分断されてしまったヒマラヤの向こう側で、チベット人への弾圧は続きました。侵略以来1979年までの20年間で、チベット亡命政府は、6,259カ所にも及ぶ僧院・尼僧院が破壊され、チベットの人口の約20%にあたる120万人もの犠牲者が出たと公表しています。その無残な様子は1979年に、亡命チベット政府が調査のための第一次使節団派遣をチベットに送ることができるようになるまで、国際社会の目に触れることはなく、チベット人たちはただ黙って弾圧に耐えるしかありませんでした。

そんなチベットのために、ダライラマ法王はチベット問題解決を訴え続けました。法王の長年に渡る地道な国際社会への訴えが実を結び、1987年9月21日、ダライラマ法王は米下院人権問題小委員会で「5項目の和平プラン」と呼ばれる和平案を提案することができました。その案は:

1.チベット全土を平和地帯に変える
2.一民族としてのチベット人の存在そのものを脅かす中国人の人口移住政策の廃止
3.チベット国民の基本的人権並びに民主的自由の尊重
4.チベットの自然破壊の回復と保護並びに、核兵器生産にチベットを利用することを止め、核廃棄物の処理場とすることの禁止
5.チベットの将来の地位並びに、チベットと中国国民の関係についての真剣な話し合いの開始という五項目からなるもので、ダライラマ法王と中国政府の直接対話を呼びかけるものでした。

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