1987~1989年の抗議活動と戒厳令

ダライラマ法王の和平案に応えて、同年9月27日、ラサ三大寺の一つ、デプン寺の僧侶によるデモが起き、10月1日にはセラ寺の僧侶たちによるデモが続きます。10月1日には、警察署に連行されていった僧侶たちを救うために民衆が警察署に火をつけたことで、暴動に発展し、中国軍の発砲により3人の犠牲者が出ました。翌年の大祈祷法会が行われた3月5日には、やはりラサ三大寺の一つであるガンデン寺の僧侶による大規模なデモが発生し、3人の犠牲者が出ています。1989年3月5日にも大規模なデモが起き、戒厳令がひかれるほどの暴動にまで発展しました。亡命政府の発表によると、中国軍による発砲の犠牲者は9人とされています。 戒厳令の中でも、僧侶や尼僧たちによる小規模なデモが続き、逮捕者が続く中で、1989年12月にダライラマ法王はノーベル平和賞を受賞します。法王はこの賞を「多くの苦難を耐え続けてきた600万のチベット人たちにかわって受ける」と受賞スピーチで述べ、チベット問題の早期解決を訴えました。法王は平和賞受賞に先立つ6月、欧州議会において、チベットの「独立」ではなく「完全なる自治権」を求めるストラスブール提案を発表しています。以来、法王は一貫して「自治権」を主張し、中国にチベットの外交・防衛を任せたうえで、チベット文化の存続のためにも高度な自治を求める姿勢を変えていません。
チベットでの中国政府への単発的な抗議デモは決してなくなってしまうことはなく、規模は小さいものの、断続的にチベット各地で行われてきました。そのほとんどが僧侶・尼僧たちによるものです。チベットでのデモを敢行することは、逮捕、拷問、懲役を覚悟しての行為にほかなりません。チベット亡命政府に拠点を置くNGO「チベット人権民主化センター」(Tibetan Centre for Human Rights and Democracy ) は、1997年時点で懲役に服した良心の囚人の数を1,216名と発表しています。また、デモに参加して銃殺されたケース、拷問で獄中死したケースは、1987年から1999年までの間で、170人が確認されています。

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